2011年7月17日日曜日

裸足6ーテニスボール

この間、走っているときにテニスボールを拾いました。

手のひらで転がしたり、右手や左手で交互に持ったり、投げたり、地面にはねさせて受け止めたり、そんなことをしながら走りました。

その後、走るたびに、なんだか手元が寂しい感じ。(テニスボールを持って走ったのはその1回きりなので。)
ロルフィングでは、足の裏の感覚を意識することと同じように、手のひらの感覚を意識することを大切に扱います。

まさにそんな感じ。
拾って走った時のセンセーション。
なんか違うぜ。

ものを持って走ることを推奨するのではありませんが、「走る」ことはそれ自体に意味はなく、走ることによって「移動する」ことに大きな意味があります。動物として、「サバイバルする」ために移動を必要とする訳です。そのときに何か持っているって、例えば、「獲物」とか。ものを持って走るってそういうことかもしれません。そういう意味では、ペットボトルもって走っている人は意味があるのかも。手首におもりを巻いているのは、全くいただけませんが。

または、手のひらへの感覚入力は、四つ足時代のなごりの何かを目覚めさせる可能性があります。なんだかんだ言っても、ヒトは確かに2足歩行ですが、ほ乳類では実験的な進化系なのではないかと、全脊椎動物の歴史の中ではほんの一瞬の出来事ではないかと。まだ、四つ足が一般的だし、四つ足動物の方が、遥かに運動能力が高いのです。そういう意味で、手のひらからの入力をしながら移動することは、何かの意味があると思います。

(次回かかとの話かなぁ?)

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